象棋(シャンチー)は中国の将棋で、競技人口も約5億人以上という、将棋系では世界で最も行われているゲームです 。古代インドの四人制レースゲーム・チャトランガが、ペルシャ地方で二人制に移行して相手の王を詰めるゲームに変化し、それがインドか、インドからスリランカを通 った東南アジア経由か、ペルシャ、中央アジアのいずれの地方、またはそれぞれの地方より唐の時代(618〜907年)の中国に伝わったと思われます。唐の時代に中国に存在した象棋は、ペルシャを始めとする様々な地方のチェスと同じく、8×8のマス目に立体駒を置いて対局していたとされております。当時の象戯(シャンシー)という言葉は、「シャトランジ」が転訛した言葉ではないかと推測されますが、私見であり、定かではありません。 その後、北宋から南宋における宋の時代(960〜1279年)に、盤や駒などの棋具やルールが「宝応象戯」より変化発展し、北宋の末期には大体現在と同じ形になった「小象戯(9×10路、棋子32枚) 」が競合していた「大象戯(縦横11路、偏・裨の駒を含む棋子34枚を使用)」を圧倒し、あらゆる階層に広まりました。当時の駒は、「将」、「士」、「象」」、「卒」、「砲」、「馬」、「車」が2組の32枚の棋子を使用しており、黒方と紅方の駒の名称表記に区別 をつけておりませんでした。しかし、宋の後期に、使い古しの色落ちによる駒の識別 困難などを解消する為に、棋子(駒)に「帥」、「仕」、「相」、「兵」、「火包」、「イ馬」、「イ車」の駒が登場し、色以外に駒の種類が区別 され、後の元の時代(1271〜1368年)にそれらの駒が定着して、普及していきました。 また、宋時代には銅質の駒で、表面には「将」「象」などの文字が表記され、裏面 にはその図案が描かれている駒が多く作られていたようで、河南省の開封(北宋時代の首都)や、江西省の安義、四川省の江油の宋時代の遺跡より、このタイプの駒が出土しております。この種の駒は、漢字が読めない人でも識別 できるように工夫された、両面使えるので、図案と文字で駒の識別をし易くする為、元々の立体駒から図案が描かれた平駒に変化し、その後の文字表記駒への過渡期の駒である等、様々な説が唱えられています。その他、宋時代の駒には銅質の出土品が多く、両面 に文字がある駒も多く発見されています。宋時代の銅質駒は、よく銅質の宋銭と共に出土発見されるので、その関連性も研究対象として考えられています。この銅銭である宋銭は中国周辺諸国や東南アジアでも通 用し、12世紀後半より鎌倉時代にかけて日本国内で貨幣として流通していました。宋の次の時代である元の時代(1271〜1368年)では、陶器技術の向上と生産増加に伴い、陶器製の駒が多く作られ、宋代の銅質駒を駆逐していきました。その後の明代(1368〜1644年)には、木や石などの素材を使った駒が多く、清代(1644〜1912)では象牙製の駒も作られ、最近ではプラスチック製の駒が普及しております。 |
■象棋ルール説明 |
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まず、黒紅16個ずつの駒(棋子)を左図のように配置します。先手・後手は地域により違いがありましたが、現在の国際ルールでは、紅が先手とされています。 ※駒クリックで動きを表示。 |
自色の駒を動かし、敵の将・帥を詰めたら勝ちです
。 取った駒は取り捨てで再使用できません。王手の時は相手にジャン (将) と言います。ジャン
(将) は連続3回以上繰り返すと反則になります。 |
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