■ 釜山 龍頭山公園の縁台チャンギ ■



 ソウルでチャンギ交流会に参加した仲間達と解散し、ソウル駅から劉朗さんと夜行列車に乗り、釜山を目指す。夜の十時頃に乗車したので、釜山には早朝到着する。釜山駅近くのチムチルバン(サウナ)で軽く休憩を取り、昼前に出発し、海鮮市場で食事をとった後、縁台チャンギが行われていそうな龍頭山(ヨンドサン)公園を散策する。


 

 公園に入ると、ベンチの上で囲碁を打っている多くの人達の姿が目に入ってきた。その中を進むと、三組程の人達がチャンギに興じていたので、早速観戦する。やがて、目の前のベンチが一つ空いたので、劉朗さんとチャンギ対局を開始。すると、わらわらと人が集まり、我々の対局を観戦し始める。そして、我々が日本語で喋っているのを聞いた観戦者の人が、こちらに韓国語で何かを訊ね、それに劉朗さんが答えると、「ほう、日本人がチャンギを指すのか!」というような感じで、色々と話し掛けてきた。それからは、日本人がチャンギを指しているということでさらに観戦者が増え、対戦を見るだけでなく、我々に「こう指した方がよい」と、横から色々と口をだし、挙げ句の果 てには観戦者同士が次の手を巡って言い争いを始め、盤上の駒を勝手に動かしてしまう始末であった。


 

 多くの観衆が集まる中で劉朗さんとの対戦が終わると、横で熱心に観戦していた大柄な中年男性が、「次はワタシとしましょう」と日本語で語りかけてきたので、その人と対戦することとなった。話を聞けば、今仕事の最中で、ふらりと公園に寄ったら日本人がチャンギをやっていたので、対戦してみたくなったのだという。



 本場のチャンギ指しに対し、こちらも下手な手は打てないとばかりに、最初から積極的に攻めの姿勢を見せると、対戦相手の人は、「な〜るほど〜♪そうですか〜♪」という日本語を、鼻唄のようなリズムで言い、韓国語で独り言を楽しそうに言いながら鋭い手を指してきた。序盤のハメ手で上手く追い込んだのだが、やはり子供の頃から打ち馴れているせいか地力があり、見る見る劣勢に追い込まれてきた。観衆も先程より増え、珍しい日本人のチャンギを興味深そうに見守っている。対戦相手の鋭い攻めに、どうしたものかと手を逡巡していたら、肩をポンポンと叩かれたのでその方向を向くと、気の好さそうな五十代位の男性が、この駒をこう動かせと、指で指示をしてくれた。


 
 
※カメラの電池が切れ、劉朗さんが携帯で撮影した画像なので、データー的に画像が小さくなっております


 その指示の手を自分の中で検討してみると、確かに最善手である。この手を指すと、先程まで独り言を陽気に連発していた相手は急に黙り込み、「ウ〜ム…」と腕を組み考え込み始めてしまった。そして、長考の末、それに負けぬ 最善手を相手が指すと、また横の同じ人が、今度はこの駒を動かせと指示を始める。このやりとりに、さらに集まった人達が口を挟み、いや、この手の方がよい、その手はダメだとばかりに大声で騒ぎ始め、先程と同じように勝手に駒を動かし始め、誰の勝負だか分からないような状況になってしまった。こちらもその様が面 白いので、次の手を隣の人達に任せていると、あろうことか、強豪と思われるこの相手に勝ってしまった。勝った瞬間は、まわりの人達は大喜びで、嬉しそうな笑顔で私に次々と握手を求めてきた。そして、横で教えてくれた人と次は勝負しようとなったのだが、つい長居しすぎたようで、気が着けば船の乗船時間間際になっていることを劉朗さんから告げられ、その場をしぶしぶ後にすることとなった。



■ 船内で韓国人と対戦する ■

 船内の部屋は2段ベッドが垂直に2つ並んでいる造りとなっており、下のベッドで韓国で買った花札の本を眺めていると、上のベッドから降りてきたガッチリとした体格の中年男性が、「あなたは韓国人ですか?」と、流暢な日本語で訊ねてきた。韓国人と思われる相手に日本語で韓国人かと訊ねるのは、随分おかしなものだと思いながらも「いいえ、日本人です」と答えると、「ああ、韓国の本を読んでいるから、日本に住んでいる韓国人かと思いました。韓国語読めるなんてすごいですね〜」と話し掛けてきた。そして、今回の旅のあらましを色々と話すと、「日本人でチャンギですか!それは素晴らしいですね!いや〜、本当に感心しますよ。ボクも子供の頃はやりましたけど、もうずーっとやってないですよ。よかったらボクとやりませんか?」と目を輝かせたので、隣のベッドで横になっていた劉朗さんに盤と駒を借りようと声を掛け、事情を話そうとすると、「いや、横で全部聞いていた」と言い、これからチャンギをやりたいというその人に韓国語で色々と話し始めた。



 金さんと名乗るのそ韓国人男性は、大阪の会社に勤務しており、仕事で大阪と韓国を行き来しているのだという。その金さんと船内のロビーに移動し、早速チャンギを対戦することとなった。相手は中学生の時以来、チャンギを指していないというブランクの長い人であるが、幼少時より慣れ親しんでいるせいもあって、線の交点を移動する駒の動かし方に自然さが感じられる。片やチャンギを大人になってから始めた自分は、どうしても升目の中に駒を入れる将棋の感覚が身に着いているので、象棋やチャンギのように、駒が線上を移動するあの感覚が板につききれない面 がある。序盤の引っ掛け手で、相手の車を取って有利に進む筈が、手が進むにつれて、金さんが昔の感覚を徐々に思い出し、物凄い勢いで追い上げ始め、勝負は金さんに形勢が傾き始めていた。終盤で一進一退の攻防を繰り返し、最後に金さんがうっかりと手を見落とし、何とか勝つことが出来たが、見落としさえなければ、確実に負けていた勝負であった。その後、雑談を挟みながら劉朗さんと対戦する金さん。



 


対戦を進めるうちに、昔の勘が徐々に戻り、劉朗さんを苦しめる金さんだったが、序盤より相手の手がよく見えていた劉朗さんが初戦を勝利した。続けて勝負を繰り返し、第三戦目では、金さんがついに勝利をもぎ取った。そして、我々日本人が純粋にチャンギを愛好していることに感激した金さんは、「いや〜、本当にチャンギをなさるなんて素晴らしいことですよ。これからボク、船の中まわってチャンギが出来る人をここに連れてきますから、待っていてください」と言って、席を離れ船内へと消えて行った。その間、劉朗さんとチャンギを指し、20分以上経った頃、「いや〜、どうもお待たせしました」と言いながら、金さんが6人位 の人達をゾロゾロと連れてこの場所に戻ってきた。



 


「こちらの方は、高さんといって、八十歳で、日本の植民地だった関係から、日本語も話せますし、日本が大好きでこれから大阪から東京に遊びに行くんですよ。こちらの方は…」と、ひとり一人の紹介を始める金さん。その中で、かなり腕が達者であるという御老人の方と劉朗さんが対戦することとなった。その戦況を笑顔で見守る老人方にお茶を汲んできて丁寧にコップを差し出す金さんを見て、韓国の人はお年寄りを大切に扱うのだなと感心。



 


このお年寄りは金さんが強豪というだけあって、劉朗さんに難無く勝利を挙げた。その後、20年前に京都の美術大学に留学していたという方と私が対局することとなった。この方も久々の対局ということで、序盤のハメ手に引っ掛かり、車を早々に失ったのだが、チャンギ母国である韓国人の地力から、じわじわと追い上げいい勝負となった。結局、劉朗さんのアドバイスのおかげでようやく勝てたものの、内容では負けており、いつ詰められてもおかしくないような勝負であった。そして、その後、その方と対戦する劉朗さん。


 

 

この方も金さんと同じで、手を重ねる度に感覚を取り戻し、鋭い手を指すようになってくる。また、負けても久々のチャンギ対局が楽しくてたまらないようで、何度も勝負を繰り返していた。その後、別 の方と何度か対局した後、心地よい疲れと共に部屋に戻り、気持ち良い眠りについた。朝目覚めると、既に大阪港付近まで船は到着していた。チャンギのおかげで熟睡である。劉朗さんは早々と目覚めて荷物をまとめ、こちらが起きるのを待っていたようで、目が会うと「もう着くよ〜」と、待ちくたびれたような表情で言った。慌ただしく荷物整理をしているうちに船は大阪港に接岸し、我々は船内を後にした。大阪に着いてからは、兵庫県伊丹市在住のチャンギ愛好家であるcurryrouxさんと合流し、伊丹市内の温泉でチャンギを対局する。curryrouxさんは「伊丹屋かれる」という高座名を持つプロの落語家でもあり、韓国・朝鮮籍を始め、多くの外国籍の方々が多く居住する伊丹市で、お互いの文化理解を図る「伊丹マダン」というお祭りの実行委員を務めている。curryrouxさんに夕食を御馳走になり、さらに駅まで車で送って頂くという御厚意を受けた後、東京に向かう夜行バスに乗り込み今回の旅は終了した。随分とチャンギを指して伎倆的にも上達したと思うが、何よりの収穫は、対局を通 して、韓国人の心の中に入ることが出来たことであった。




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