現在、書店などで発売しております学研の月刊「ムー 」2014年 01月号に、「浄土双六」について寄稿しておりますので、ご興味のある方はご覧下さい。
浄土双六は、絵双六の元になったと言われる遊びで、あの世を疑似体験して極楽浄土を目指すというものです。
おそらく。浄土双六が無ければ、道中双六や出世双六などの絵双六や、今の桃太郎電鉄のようなゲームも生まれていなかったと考えられます。
内容では、浄土双六の背景にある、日本人が培ってきた熊野修験などの神仏習合の信仰についても説明しています。
元々、日本人は神と仏が共存し、全ての自然に命が宿るという自然崇拝が結びついた大らかな信仰をもっていました。
しかし、明治政府が西洋のキリスト教を元に日本の宗教を改革した際に、キリスト教の影響を受けたといわれる平田篤胤の国粋主義的な復古神道と、儒学や朱子学、陽明学、国学の影響を受けた尊王主義が結合した儒家神道といった江戸末期に生み出された新しい神道を国教と定めました。
そして、古来の神仏を分断して統廃合し、山岳信仰の修験道や陰陽道などが禁止され、廃仏毀釈で多くの寺社や神仏像が、明治政府の神祇官の命を受けた神職達に打ち壊されました。
これにより、自然を祀った神域や土地の神、無名の怨霊を鎮める為にを祀った祠など、様々な八百万の神も統廃合され、神仏習合を廃して皇室祭祀の場所に生まれ変わった伊勢神宮の下に置かれてしまいました。
更には、古来の氏神や産土神、自然神、権現、明神などが壊されて「記紀神話(古事記と日本書紀)」の神にすり替えられ、全国から多くの祠や神域が消えてしまいました。
因に今ある神社の多くは、明治時代に神仏習合の寺社を壊して祭神を記紀神話の神に入れ替えたものが多く、古代からその場所に記紀の神を祀る神社が存在していたかのように由緒書が書かれています。
現在、日本人で自分は無宗教だという人が多いですが、祖先崇拝に加えて、本来、神仏と自然が一体となった宗派ではない信仰があり、それこそが日本人の持っている宗教観だと思われます。
この宗教観は、東~東南アジア圏にも広くあるもので、政治等と結びついて拡張し、道徳的で異端を認めない窮屈なものではなく、色々な神仏を取り込み、自然を崇拝する大らかな思想があると思います。
そんな、明治以前に持っていた根底となる日本人の信仰(死生観)と浄土双六の関連性について書いておりますので、もしよろしければお読み下さい。